金沢大学映画研究会

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劇場版 仮面ライダー鎧武 /烈車戦隊トッキュウジャー THE MOVIE

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絶対的ヒーローの夏がやって来てたので、野郎数人(すうにん)で見てきました。闇の皇帝も羨むようなキラッキラのメガホンもたくさん貰いました。

以下、ASN先生(トッキュウジャーは見てない)の感想

鎧武者、から一文字削って『鎧武』
よろいむ、じゃあなくて、ガイム。そう、音読み。
時は平成戦極時代。毎週日朝、大きなお友達がハピネスチャージを始める30分くらい前、『仮面ライダー鎧武』は脚本虚淵玄の下、禁断の果実の行方をめぐり、アーマードライダーへと変身する主人公たちの奔走と闘争を描く。
『劇場版烈車戦隊トッキュウジャー&劇場版仮面ライダー鎧武』の二本立て同時上映を見て参った。
今年のW杯は我らがドイツ最強ゲルマン民族の優勝で幕を下げたが、サッカー熱は未だ止むことを知らず。とうとう仮面ライダーのスクリーンの中まで入り込んでくる始末。
脚本がブッチーじゃないから正直どんなもんなん?と斜に構えてましたすみません。
脚本家って曲芸師みたいな面もあるし、軍師みたいな面もあるし、発明家みたいな面もあると思ってるけど、やっぱり時代ともに複雑化という進化をしてるもんなんだな、って思い出のナナニーが言ってた。昔の小説とか映画とか漫画とか、脚本もわっかりやすくて良い。でもそれだけじゃ腹八分目にもイかない連中も多分居たりする。
例えば誰が味方か分からず、果物がヒトに力を与え、植物が地球を呑み込まんと蠢き、そんな入り乱れた戦極の世の物語とか。

まぁ、そんなんガキが見るもんだと切り捨てるのは造作もない。こういうのを大人は見るべきだと拍手を送るのなんて誰にでも出来る。
あひゃひゃひゃと倒錯現象それ自体を楽しむのも、ドン引きするのも、その間を隔てる溝について考えるのだって誰にでも出来る。
そんなん忘れて寝て夢を見るのもいつだってできる。
何も感じないこともできる。知った気になって勘違いすることもできる。「できる」っていう可能性の話だけをシラミ潰しにしていくこともできる。
譲るという着目点のない自己完結と、譲るという着目点のない自己完結がぶつかっても何も起きない。

ああ^~~自分のすっくねえ着目点の数をどげんかせんといかんのじゃあ^~~。