金沢大学映画研究会

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好きな映画『ブレッドウィナー』についての話(梅干しパクパク)

好きな映画『ブレッドウィナー』についての話

 

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ポスタービジュアル



『ブレッドウィナー(原題:TheBreadwinner)』(2019年、94分、アイルランド・カナダ・ルクセンブルク合作)
制作:カートゥーンサルーン
監督:ノラ・トゥーミー
*あらすじ
 舞台は2001年アメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタンタリバン支配下にあるカブール。そこの小さなアパートで、教師だった父、作家の母、姉と幼い弟と暮らす一一歳の少女パヴァーナは、父が語る物語を聞きながら成長し、市場で人々に手紙を読み書きして生計を立てる父を手伝っていた。 しかしある日、父がタリバンに逮捕されたことで、パヴァーナの暮らしは一変する。タリバンは、男性を伴わずに女性が家を出ることを禁じているため、家族はお金を稼ぐことも、食料を買いに行くことさえできない。 一家の稼ぎ手として家族を支えるために、パヴァーナは長かった髪を切り「少年」となる。

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*考えたこと 
パヴァーナは髪を切ることで「男」となる。
「女だったころ」は話しかけても取り合ってくれなかった食料品店のおじさんは、髪の短くなったパヴァーナを「男」として認識し、米を売ってくれる。
 「男である」「女である」とはなんなのか。何を根拠にした判断なのか。このシーンは、今まで当たり前のように考えていた「性」という概念を不安定なものに感じさせ、社会生活を営む上で(映画内のカブールの環境は少し特殊かもしれないが)「性」がどれだけ重要な指標になっているかが分かる。と同時に、外見を変えるだけで覆せるような表層的な要素を根拠に差別が行われているカブール(タリバン)社会が恐ろしく感じる。
髪を切ったことでパヴァーナは社会的にも家族の中でも「男」となった。髪を切る前のパヴァーナは母や姉と同様に長い髪をたくわえており、映画内では長い髪が「女」の象徴とされている。
 パヴァーナが髪を切るために洗面所に行くカットの直前、彼女は、怪我を負った弱々しい母、その胸ですやすやと眠る弟ザキ、「家庭的」「女の象徴」のような行為とも考えられる裁縫をする姉ソラヤの姿を見る。そこでパヴァーナは、自分は「男」になって外で稼ぎ、家庭の暮らしを支えなければいけないという決心をする。そして自ら髪を切った。「ありのままの自分」を殺すようなシーンに胸が痛む。

 終盤(いきなり飛びます)、画面上では、パヴァーナが父を荷車に乗せておそらく実家の元へ右から左に運び歩く姿があり、直後に、姉がザキを背負って母の元へと左から右に歩くシーンが挿入される。これは、離れ離れになっていた一家が再び集い、カブールでの暮らしを再開させるということを暗に示していると考える。「一家団欒な日々が戻ってくる」というハッピーエンドのようにも感じられるが、必ずしもそうとは受け入れられないようにも思う。
 そもそも本来ならば、姉の結婚を機に、刑務所に放り込まれた父を除く一家はカブールを離れ、裕福な親族のもとへ引っ越す予定だった。しかしこのようなラストになったのは、争いによる悲惨な生活からは簡単に逃げられないことを指し示している気がする。変えられない、「現実の厳しさ」がそこにある。
 そして、髪を切り「男」になったパヴァーナがその「男」の姿を保ったまま映画は終わる。女がありのままの姿では十分に活躍できない現在の社会状況を表しているとは考えられないだろうか。


「現実の厳しさ」は、パヴァーナと同じように髪を切って「男」として町を歩くショーツィアの姿にも示されている。

 

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髪を切ったパヴァーナ(左)とショーツィア(右)。 ショートヘアが似合う女の子好きです




 ショーツィアはカブール、そして父の元から離れて海で暮らすことを望んでいて、そのためにお金も貯めていたが、作中でその願いが叶うことはなかった。
引っ越すことが決まったパヴァーナの「一緒に行こう」という呼びかけに対して、「ムリだよ 父親に追われて殺される」というショーツィアのセリフがある。彼女はカブールを離れて独り立ちしたいという夢があるが、結局は親の反対があれば自由に暮らすこともできない「子ども」である。非力な存在。望みが叶わない場所としての「厳しい現実」はこのような形としても立ち現れているように思う。
 引っ越すことを知らされたショーツィアが、口から吐き出した飴を足でグリグリするカットは、彼女の等身大の姿が描かれる数少ないシーンで、胸が苦しくなる。パヴァーナとは同級生だが「男」としては先輩。彼女に町の楽しみ方を教えていたショーツィア。ショーツィアの表情から、パヴァーナに比べてより外の世界に近づいてると思っていたのに「後輩」に追い越されるという悔しさ、この生きづらい世界に取り残される寂しさや恐怖を読み取りたい。しかし彼女は最終的にパヴァーナの門出を祝福する。ここにショーツィアの「大人」な面が垣間見える。
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*雑談
前述した以外にも、パヴァーナの父と彼を逮捕・連行した兵士の描かれ方が酷似しているシーン、鏡や太陽・太鼓など印象的に何度も描かれる「丸いモチーフ」、そしてなによりパヴァーナを中心として語られる「ある少年」を主人公にした物語などなど…。この映画の魅力はたくさんあるなと感じます。
パヴァーナのいる「現実世界」と、切り絵アニメーションで表現される「物語世界」が交わるシーンは感情がブワンブワン揺れ動かされて涙が出ました。大好きなシーンの一つです。
本作はネトフリで視聴可能です。GEO桜町店にも取り扱いアリです。ぜひ観てみてください。原作はデボラ・エリスの『生きのびるために』だそうです。

時間の足りなさ(単に執筆に取り掛かるのが遅いだけ)や構成能力の低さが原因でまとまりのない文章になりました。能力云々はどうしようもないですが、執筆時間の問題については早く取り掛かることで解決します。早め早めの行動は大事です。(遺言)
 
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

(梅干パクパク)

 

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